株式会社イリスとは



1859年

  • 長崎の出島でドイツ商人、ルイス・クニフラーとヘルマン・ギルデマイスターが会社設立。
  • 開業5年以内で長崎で最大のドイツ商社となる。

1860年代

  • 1866年にカール・イリスが入社し、1868年に長崎支店を統率。
  • カール・イリスの経営のもと、横浜と東京支店が会社の中心となる。

1880年代 – 1890年代

  • 1880年、カール・イリスが単独株主となる。社名をC. ILLIES CO. (イリス商会)と改める。
  • クルップ社の代理権を得て、日本における鉄道網の開発業者として重要な役割を果たす。日本鉄道会社と九州鉄道会社などが主要顧客となる。
  • 1886年10月、イリスによる現代的なヨーロッパ様式の橋が皇居に完成。二重橋と名づけられたこの橋は、以来、イリスの技術水準の高さの象徴となる。

1900年代 - 1910年代

  • カール・イリスがハンブルクにあるドイツ東アジア協会の創立メンバーとなり、初代会長に就任。
  • 1910年、カール・イリスが事業を2代目に引き継ぎ、カール・イリス・ジュニアがイリス社長に任命される。
  • 第一次世界大戦の勃発により、ドイツ・日本間の全ての取引が停止。ドイツ企業の日本支店は全て閉鎖され、イリスがそれまで順調に拡張してきた商圏が一時崩壊する。
  • 戦時中、従業員が日本にとどまっていたため、1919年に取引を速やかに再開することができ、東京、横浜、神戸、大阪の各支店を再び開設する。
  • カール・イリス・ジュニアが日本からのドイツ人捕虜帰還事業に乗り出す。

1920年代 - 1930年代

  • 戦後、日本企業がドイツの技術、とりわけ機械工学、電気工学、航空機製造に強い興味を示す。イリスはボッシュ、ブライヒャー、BMW、ドルニアー、MANを含むドイツの有名企業と代理店契約を結ぶ。
  • 1923年9月1日、東京、横浜で死者10万5千人を出した関東大震災が発生。東京と横浜のオフィスは崩壊、全ての書類、記録が消失し、多大な被害を被る。この災害により、複数の顧客が倒産する。
  • 世界恐慌の間、取引額は70%減となり、従業員数は200名から30名に減少。
  • 市場崩壊にもかかわらず、イリスは速やかに復興し、1932年には瀋陽と長春、1938年にはマニラ、1939年には北京に新しい支店を開設する。
  • 1935年、3代目のC. ユルゲン・イリスが新社長に任命され、経営を引き継ぐ。

1940年代 - 1950年代

  • 太平洋で第二次世界大戦が勃発したため、マニラ、日本、満州、中国の支店を閉鎖。
  • ドイツと日本の降伏後、イリスの全資産が日本の米軍政府に接収される。東アジアのオフィスは閉鎖され、ドイツと東アジア間の取引が停止する。
  • 1950年、日本の経済成長により日本での事業再開が可能となり、東京と大阪のオフィスを再び開設。
  • 1950年代後半、繊維工業が主な要因となり韓国経済が好転。イリスは業界リーダーのチェイル・ウール(サムスングループ)の主要サプライヤーとなる。
  • 1956年、日本および韓国市場における、カール・マイヤーテクスティルマシーネン社の独占代理店となる。
  • 1957年、ソウルに支店とカスタマーサービス部門を開設。サムスン創始者のB. C. リーの推薦により、キール・ボン・パクが経営に参画。後にパクは韓国イリスのパートナーとなって繊維機械の枠を超えたポートフォリオの拡大に尽力し、韓国経済の急速な発展に貢献する。
  • 1958年、ハンブルク本社がUFA Palast内の新事務所に移転。同年、ベトナムに支店を開設。

1960年代 - 1970年代

  • 数十年に及ぶ日本と中国での市場活動が実を結び始める。イリスは卓越した繊維技術力と多彩な繊維機器ポートフォリオを主軸とし、全アジア諸国で事業を拡大。その後、食品業界への機器販売を開始し、ターンキー生産プラントを完成させるに至る。
  • カール・ハインツ・イリスが4代目社長として経営を引き継ぐ。1967年、後にパートナーとなるクラウス・リントホルストが東京オフィスの社長となり、アジア拠点を管掌する。その後、カール・ハインツ・イリスとリントホルストは、35年にわたってイリスグループを共同経営し、イリスを新たな高みへと牽引。同年イリスは香港と台湾に新オフィスを開設。
  • アントニオ・ロハ、ジョン・ロハとマニラを拠点とするパートナーシップを結び、共同経営会社イリスエンジニアリングを設立。
  • その後の数年間で活動地域を拡大。1974年、香港に支店を開設。

1980年代 - 1990年代

  • 1981年、カール・ハインツ・イリスがハンブルク商工会議所の代表に選出される。
  • 1984年、東京で開催された創業125周年記念式典で、ドイツ元首相のヘルムート・シュミットが基調演説を行う。
  • 鄧小平主導の開放政策が、新たな市場拡大の起点となる。中国経済圏全域での事業活動展開のため、イリスは広州、北京、上海の新支店をはじめ、様々な地域に連絡事務所を開設する。
  • 1993年、上海に技術サービスセンターを設立。同時に中国顧客向けのアフターサービスを開始し、この分野での先駆者としての地位を確立。
  • 1998年、幅広い製品ラインナップと日本、中国、東南アジアに広がる活動地域を基に、アジア経済危機から迅速に脱する。

2000年代 ‐ 現在

  • アジアで経済成長率が最も高いインド(ムンバイ)とインドネシア(ジャカルタおよびバンドゥン)の二国に新支店を開設。
  • 1995年、C. マイケル・イリスが5代目社長となり、パートナーのアンドレ・ピエダバンとロルフ・シュトレラートと共に新経営体制を打ち立てる。
  • 2009年、創業150周年を迎える。
  • 2015年、技術サービスセンターをベトナム・ホーチミンに設立。
  • 2015年、ヴォルフガング・フレーゲル、ゲアト・クノスペ、ヤン・ルンツハーゲンがイリスの経営に参画。
  • 創業以来、変わることなくイリスグループは幅広い産業先端技術のポートフォリオと革新的で総合的なアフターサービスの更なる拡充に努める。



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